方丈記、俺記。

このブログに書かれているすべては「嘘」である。

2015-10-01から1ヶ月間の記事一覧

便利とは何か

便利とはなにかを勘違いする現象が特に多いのが現代かなと。何度もこういう話を方々でするが、話しても分から無いから半ば諦めている。それで、便利とは同一性である。赤いリンゴと青いリンゴ、和ナシと洋梨があり、4つの物をナシとリンゴと2つに整理できる…

オタクとヤンキー

ある外資系の企業方にこういわれた。「君の話は仮説に過ぎない。」確かにおいらは物事を考える時に仮説を立てる。べつに強い根拠や事実が存在するわけではない。いろいろ調べていくうちにおかしいと思えば仮説を変える。それはビジネスや科学に置いて核心だ…

天才とはなにか

非典型的な知性や天才をどう生み出すか、もしくは探し出すかという議題が国内の企業や機関でおこなわれているが、本当に必要だろうか?天才や非典型的な知性を持つ人間とはどういうものか、定義は簡単だ。理解できない人である。理解できないというのは、典…

シンボル化

現代においての普遍性を考えるのなら、自分探しである。封建的や保守派は受けが悪く、分かりやすい自分を表現できるものが流行する。たとえそれが本質でなくてもいい。夢や希望を語れるシンボルならなんでもいい。ブランド品や高級車だけでなく、エコや読書…

情報化社会

自分が変わるということを認めないのが現代である。細胞は毎日生まれ変わるし、意識も変わる。名前を固定し始めたのは明治以降、最近の話である。この人は変わるという事実を認めない文明を、情報化社会という。情報は変わらないからだ。今日撮った写真は明…

権威と民主主義と普通

おいら含めてすべての人は"ただの人"である。ところがそれでは落ち着かないという現象がたくさんある。会社を経営したり、母親になったり、タクシーを運転したり、戦争に赴いたり、皇室に入ったり。本来はただの人である人はそういった立場になるという事は…

機械となるか、人間は。

鶏をみればわかる。養鶏場で目の前を餌と水が流れて、本人(本鶏)は全く動く余地がない金網カゴの中に閉じ込められている。後ろには卵受けがありズラリと卵が並ぶ。これでは完全に機械である。もちろん鶏は機械ではないが、扱いは同じ。まともな扱いではな…

価値観が変わる

希望とは何かと言えば、自分が変わることでした。聞いたり読んだりした技法的な記憶ではなく、実体験としてそう思える。社会や他人が変わることで希望が生まれることはないことを知っているか。社会や他人は知らぬ間に一気に変わってしまう。そちら側に期を…

世間に疲れる理由

世間で生きていると疲れる。昔からそうだ。学生時代も必ずどの学年でも不登校になっていたし、社会人としても似たようなものである。半年くらいは頑張れるが、それ以上は生きていけない。人間はいつも自分が主体だと思って生きている。ゴルフばかりして、役…

理想主義と現実主義

答えというものには2種類ある。1+1=2であるという理屈は大方理解できるはずである。しかしながら現実はそうでない。アルコール1に対して水1を足すと2にはならない。分子の大きさが違うためである。二つの違うものをそもそも同じものとして考えるのは、屁理屈…

論理と人間と意味性

論理を追及するということは、つまり論理的でない事柄を実生活ですら排除することである。すべての機微においても、例えば金銭の使い方や得方においては一切の論理性はなく、一貫性がある様に見せているだけである。そういった虚偽の論理を信じるためには、…

サイコロは何故あるか

サイコロがいまだに使われているのは、脳にランダムという機能がないから。ランダムとは自然現象で、しかたなくどうしようもないことである。科学は意識でつくられた学問であり、学問とはそういうものだ。統計的にサイコロの目がでる確率はわかるけれど、次…

メンタリスト

メンタリストは相手のメンタルをコントロールする行動力学や心理学と勘違いしている人がよく彼を説明したがるけれど、そうじゃない。軽い手品でメンタリストがどういうものかを説明して証明して、そのあとは相手がメンタリストとして意識したら勝ち。彼が優…