方丈記、俺記。

このブログに書かれているすべては「嘘」である。

シンボル化

現代においての普遍性を考えるのなら、自分探しである。封建的や保守派は受けが悪く、分かりやすい自分を表現できるものが流行する。

たとえそれが本質でなくてもいい。夢や希望を語れるシンボルならなんでもいい。ブランド品や高級車だけでなく、エコや読書やスマホやそういった行為すらシンボルになる滑稽な世の中だ。

私はこういう人間だ、と伝える手段が潜在的需要で存在し、蔓延してる。そしてそれはマクロ的にデータ化され、同じ種族として仕分けされただの数字に変わる。

自分らしさとは何か、そういうチープな欲がどういう社会を作るかではない。社会の側で対応した結果であり、表現のパターンがすくなくなることは、情報化においてはこれほど都合のいいことはない。